妻との出会い

1977年。当時見ていたTV番組で鎌倉を舞台にしていた「俺たちの朝」というドラマがあった。その中で勝野洋演ずる主人公のオッスの妹役をやっていた岡田奈々は、その前のシリーズで中村雅俊主演の「俺たちの旅」にも出ていて、当時の人気は高かった。またその年、松崎しげるの「愛のメモリー」という歌もチョコレートのCMソングから始まって大ヒットした。そんな二人のコンサートを勤務先の親睦会が主催した。企画したのは開催よりもずっと前だったろうから、まだ二人がそんなに売れていなかった時に既にスケジュールに入っていたのだと考えられる。そのコンサート会場は山下公園脇の県民ホール近くの体育館みたいなところだった。
前に初恋の人と付き合っていた頃は京浜東北線磯子あたりまでしか通っていなくて、大船から山下公園や港の見える丘などに行くには東海道線横浜駅まで行き、地理不案内だったこともあり東口からバスで行っていた。大船まで延びたのは1973年のことだった。それによって大船から中華街だとか元町、関内などだのに出掛けるのが便利になり、この頃には関内界隈の地理にも詳しくなっていた。
そのコンサートが開催されたのは1977年の初秋だったと思う。大船駅から関内に向かう京浜東北線で偶然にも妻を含む3人連れと同じ車両に乗り合わせた。関内駅から会場まで道案内がてら一緒に行き、ショーが終わった後も一緒に帰って来たという記憶がある。
妻のことは、妻が1974年に入社する前の社内報を見て同郷の人だということで関心があり、6月頃労働組合の新入組合員歓迎会で顔を知っていた。その後1975年の大島キャンプに妻が参加していたのだが、その頃は2番目の恋人であったYちゃんと付き合っていたので、特に印象が残っていなかった。
この前のページで紹介したように、このショーの2ヶ月後に実家を引き払って母を呼び寄せようとしていた時でもあったので、同郷の人と偶然電車で一緒になったことをヒョッとしたら運命なのかもという気になってしまった。

最初のデートでは横浜の映画館に「人間の証明」を見に行った。松田優作が主演の映画で、ジョー山中の「Mama, do you remember?」というフレーズが連日ブラウン管から流れていたのだが、当時僕は森村誠一推理小説にはまっていて、単行本や全集を読み漁っていた。その縁でどうやって手に入れたのか「人間の証明」の前売りチケットを2枚持っていた。
ところがこの映画を見に行って、お腹の調子が悪くて映画の最中にトイレのため中座することになってしまった。映画の放映時間中に席を外したのは後にも先にもこの時だけだ。よっぽど緊張していたのだと思う。

一番印象に残っているのは翌年の4月に伊勢原の大山に登ったこと。大船から平塚まで行き、バスに乗り換えて丹沢の入口である蓑毛まで行った。そこからヤビツ峠に登り、さらにそこから大山山頂まで登った。当時車であちらこちら走っていてヤビツ峠から丹沢の林道を走ることは時々あってその辺りの土地勘はあったのだが、平塚からバスで行くというのは僕には初めてのルートで物珍しかった。大山の上で妻が早起きして作ってくれたおにぎりを食べ、下りは日向薬師を通って七沢温泉に出た。4月の天気の良い日で下って来た所の里山の花々が咲き誇っていてとても綺麗だった。
下山したのが午後3時くらいで、その後どうしようかとなった時に、服装が街中を歩くには気恥ずかしい身なりであったので、僕はその頃には既に母と妹と暮らしていたボロアパートに妻を初めて連れて行った。これが妻に家族を紹介した初めての日だった。

この頃の僕はほとんどカメラを持ち歩いていなかったので、残念なことにその日の登山の写真は一枚も残っていない。